最後に後悔したくない・・・人生のストーリーを克明に描こう!
こんにちは。Hanaです。
今日は「人生はストーリーである」という話をしたいと思います。
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「人生はストーリーである」の本当の意味
「人生はストーリーである」とは、最近よく聞かれるようになった言葉です。
自分の人生は、数々の点の集まりではなく、それらをつなぐと大きな一つのストーリーを形成しているという、後から意味づけを行うという意味での使われ方が多いようですが、私がいう「人生のストーリー」とは、それに引っ張られて人生が進んでいく、といういわば人生の「シナリオ」としてのストーリーです。
あなたは、これまでに受験する学校を選び、そこに向かって努力して、その学校、あるいはそこと同じくらいの偏差値の学校に進み、数ある中から自分の意思で就職先を選び、あるいは起業し、そこで努力し、昇進あるいは事業を拡大してきたことでしょう。
それは、あなたに「こうなりたい姿」というものがあったから。その姿に近づくために、今の行動を決めて、進んできたはずです。
あなたがこうありたいと思う姿に向かって行動を選んできたからこそ、この結果がある。つまり、あなたのこれまでの人生は「こうなりたい姿」に向かう物語(ストーリー)だったのではないでしょうか。
そうであるならば、それぞれに公平に分け与えられた一回きりの人生を充実させるために、そのストーリーをできるだけ、具体的に描くことが必要になります。
ストーリーを面白くするアクシデントはつきもの
そうはいっても、思い描いた通りにならないのが人生じゃないか。いつも予想外の出来事が起こって、自分の思い描いた通りに進んだことなど一度もない。だから、ストーリーなんて作ったって意味がないよ、そういう方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、人生には数々のトラブルや事故、思いもかけない出来事が起こります。全く予想もできない展開に戸惑い、道を見失うこともあったかもしれません。
でも、振り返ってみるとあなたは、そうしたトラブルを全て乗り越えてきたのではないでしょうか。乗り越えてきたから、今ここにいるはずです。たとえ全てを一度失ったとしても、また這い上がってここに辿り着いた。少なくとも、そのまま人生をドロップアウトしてはいないはずです。
そう考えると、どんなに辛かった出来事も、あなたが越えられる試練しかやってきていない、ということに気がつくはずです。
越えられない試練はやってこない
それがどんなにパンチの効いた出来事であっても、あなたにとって越えられない障害、というものはやってきません。
それはある意味、神様があなたを成長させるために与えた試練だからです。あなたの人生を終わらせるために与えたものではありません。
だから、その試練はちゃんと「あなたが越えられるようなレベル」に設定してあるのです。
人は、黙っていると楽な方向に流れてしまう生き物です。だから、どこかから与えられないと、自分から試練を作り出す、ということはしません。でもそれでは、できることを繰り返しているばかりですから、成長することがありません。だからこそ、神様は避けることのできないように、思いもかけない方法で、あなたに乗り越えられるレベルの、でもかなりパンチの効いた試練をわざわざ用意してくれるのです。
それはまるで、ワクチンのようなもの。副作用はかなりあります。パンチが効いて、しばらく寝込んでしまうこともあるかもしれません。でも必ず乗り越えられるレベルに設定してあります。そして、それを乗り越えることで、私たちは免疫がついて強くなれるのです。
まとめ
しかし、自分の能力を過小評価していると、「こんな困難乗り越えられないよ・・・」と思ってあきらめてドロップアウトしてしまう人もいます。
もう少し頑張れば乗り越えられた困難なのに、自分の力を信じずにあきらめてしまう・・・これはもったいないことです。
こうした試練を「乗り越えられる人」と「乗り越えられない人」の違いは、思考回路にあるといってもいいでしょう。つまり、乗り越えられる「思考回路」と乗り越えられない「思考回路」があるということです。
これは今度ゆっくり話すことにしましょう。
まずは、人生のストーリーを克明に描くこと。
そして、「乗り越えられない試練はやってこない」ということに気づき、どんなことがあっても「乗り越えられるレベルに設定してあるんだ」と思って越えていくことが、そのストーリーを完遂させる大事な一歩となるのです。