自分を責めてしまうあなたに・・・それってあなたの主観ですよね?
こんにちは。Hanaです。
今日は、「自分を責めてしまうとき」というテーマで話していきたいと思います。
吃音が出てしまったとき、自分を責めてしまうことはありませんか?
どうして自分はこうなのだろう?
どうして自分はこんなこともできないのだろう?
どうして自分は、いつまで経ってもこのままなのだろう?
人ができていることが、自分にはできない。どうして自分はこうなのだろう。努力が足りないのだろうか。だめだ、もっと頑張らなくてはいけない・・・
そうやって、自分を責め続けると、結局はマイナスの方向に働きます。自分のできない部分を見つめ、責め続けると、視点がそこばかりに集中してしまうから。
あなたにはたくさんの他の「できる部分」があるのに、それには一瞥もくれず、ひたすら「できない部分」を見つめ続ける。そのことによって、あなたの「できる部分」はますます影を潜めてしまうのです。
では、どうすればこの自責思考を止めることができるのでしょう。
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それって根拠あります?と自分に問うてみる
それには、まずその自責の念に根拠を求めてみること。
「自分は本当にだめな人間だ」と思ったらその根拠は何ですか?と自分に問うてみる。
「だって、人のできることができないから」どうして人のできることができないのなら、だめな人間だと言えるのですか?
「だって、みんなができることが当然できないといけないから」なぜ?その根拠は??
と、弁護士を問い詰める検事のように、根拠を求めてみるのです。そうすると、たいていの自責は、自分の主観によるものだ、ということがわかります。
「みんなが私を変なふうに思うから」などという言葉も、単なる憶測でしかありません。
前に「あなたの話し方は変だ」と言われたから、というのも、その時はそう思われたかもしれないけど、これからもずっと会う人会う人にそう思われるかなんて、誰もわかりません。
「〇〇だ」「〇〇に違いない」といった根拠のない責めの言葉は、あなたが主観的に感じているだけで、絶対的真実ではないのです。
さらに反証してみる
そこで一言、反証してみましょう。
「吃音があるのに、話すことを諦めない、あなたって素晴らしいのでは?」
え、その根拠は?ともう一人の自分が尋ねてきたら、こういうのです。
「吃音は、現代の医学では完全には治らない。吃音を持っているのだから、みんなができることができないのは当たり前ですよね。吃音を持っているのだから、そうではない人と比べても仕方がない。そして、現代の医学では完全に治らないのだから、努力が足りないから出ているわけでもない。でもあなたは、現実から逃げずに話そうとしている。それは、むしろ普通の人にはできない、勇気ある行動と言えます。そうではありませんか?」
はい、マイナスの自責思考は、徹底的に論破されました(笑)。
マイナスにしかならない、しかも誰からみても真実とは言えない言葉を、自分に浴びせ続けるなんてナンセンス。それよりも、自分を奮い立たせるようなプラスワードで前向きに視点を整えた方が、よっぽど次のステップに進みやすくなります。
まとめ
自分を責める言葉は、ほとんど全てが思い込み。
こうでなければならない、それなのに自分はできていない、と責めているけれど、そもそもの「こうでなければならない」がすでに絶対的真実ではない、単なる主観によるものであることが多いのです。
あなたの根拠のないマイナスの思い込みは、さっさと論破してしまって、第三者の目で見たプラスワードで自分の心を満たしていきましょう。
自責の念は「百害あって一利なし」。それが吃音に関するものなら尚更です。それよりも、挑戦している自分を讃え、プラスの部分に目を向けていきましょう。